掛け算の順序問題:数式から意味を復元せんとすることが無理である

度々ex-Twitterなどで話題になる掛け算の順序問題について、一度自分の考えを書き出してみたい。

算数のテストで文章題といえば〈式〉と〈答え〉を書かせる形式だったと記憶している。 私はこの〈式〉でもって児童の考えを表現させ切ろうとすることに無理があるのだと考える。 〈式〉は数の計算を表現する手段であってそれ以上でも以下でもない。

文章題というのは、現実のモノを一旦「数」に抽象化し、単なる数同士の計算方法として〈式〉を立てて計算し、結果を現実に対応するモノ(具象)に戻して〈答え〉を得る練習だと考える。 そこで立てられた〈式〉には、元々何であったかということは残っていない。 〈式〉に数がどう並べられていようが、児童がそれぞれの数を「何を抽象化したものなのか」は表現されていないのだ。

「ひとつあたりの量」と「いくつ分」に当たるモノが何かを児童に示させたいのであれば、それをはっきりと示させれば良いだろう。 〈式〉と〈答え〉の欄にこだわらずとも、問題文に棒線を引かせたり四角で囲ませたり指示しても良いのではないか。